作家である自分に嘘をつかない表現を

12期生 2023.03.10

南健吾

(イロみな代表)

第20回目は藪崎大地さんからのバトンを、イロみな代表・南健吾(みなみ・けんご)さんにつなぎます。
南さんは、芸術学部美術科洋画コースに2003年に入学しました。ゼミ担当教員は花澤洋太(はなざわ・ようた)先生でした。

[藪崎大地さんからメッセージ]
南さんはひと学年上の洋画コースの出身です。後輩から申し上げるのも恐縮なのですが、お互いに刺激を与えられる大切な友人です。
周囲の環境に目線を合わせ、他人に良い影響を与えてくれる素敵な方です。
学生時代から学んでいる分野も異なっていましたが、深い部分で共感でき、「これからどう生きていくか」相談させていただくこともありました。同時期に独立・企業したこともあり、これからの活動も心から応援しています。
尊敬する後藤田さんから頂いたバトンを、同じく尊敬する南さんにつなぎたいとおもいます。

ワクワクを携えて未知の世界・東北へ

芸工大での思い出を教えてください

二浪して福岡から未知の世界、東北に来ました。一浪目までは関東圏の大学を考えていましたが、東北に新しくて面白い大学があると聞いて芸工大へ進学を決めました。九州人からすると東北はあまり情報も行く機会もないのでどんなところだろうとワクワクしていました。
大学の4年間はとても楽しかったし、たくさんの経験を積むことができたと思っています。大学での様々な内容の講義や作品制作も充実していましたが、一人暮らし、サークル活動やアルバイトも同じくらい成長するためによい経験になったと思っています。卒業制作で作品を買い上げていただき、賞をいただけたことは自信にも繋がったし、おかげで社会に出る時の良いスタートがきれたと思っています。
4年間滞在した山形県は思い入れもあり、また訪れたい場所です。

大学本館3階エレベーターホールに展示されている南さんの作品(2006年度卒業制作展買 大学買上作品)

私は南さんが入学した年に卒業をしたのでエレベーターホールに飾られている南さんの作品は大学祭などの時にはじめて拝見しました。顔のない人が前ならえをしている、という何とも残念な言葉でしか言い表せないのが申し訳ないのですが、とても個性的な表現なのに個性がないものの羅列という無機質な印象を受けました。「顔がない」というのは南さん自身のどのようなものを表しているのでしょうか?

みなさんはご自身の作品をどのように客観視し、理解されているのでしょうか 。僕が顔のない人物を描き始めたのは中学3年生の時です。それ以降ずっとそれを高め続けてきた感じです。他に描きたいものもないし、やはり自分はこのモチーフが好きなのだと思います。
僕の絵になぜ顔がないのか、尋ねられたこともあったし、自分自身でも自問自答してきました。正確な答えは出ていませんが、僕は人間に興味があり、人を描いていきたいということは言えると思います。そして個人を描きたいのではなく、人間自体というモチーフを用いたいからなのかとも思っています。顔という個人にとって一番パーソナルな情報がある部分を省いていることろが無機質に感じるところなのではないでしょうか。
いずれにせよ、僕の中にあのような人達がいるのでしょう。

人生のパートナーと未知の世界・フランスへ

大学卒業後はどのような活動をされていましたか?

作家志望でしたので、卒業後は少しでも面白い魅力的な作品を作りたいという思いで作品制作と発表を続けてきました。
生活とのバランスをとるために教員の仕事や、フランスではレストランの仕事をしていました。
フランスでは様々な経験をしました。日々の生活や現地の方達との交流をしながら日本の良さや、その逆に足りない部分も感じることができました。ルーブル美術館での展示、賞を頂いたり、美術館へ作品を寄贈できたことがとても嬉しかったです。表現の幅を広げることができました。

「ルーブル美術館での展示や賞」というパワーワードをこんな身近に聞けるとは思いませんでした。フランスにはカメラマンである奥様との結婚一年後に一緒に行かれたとありました。同じく表現者である奥様との海外での生活はお二人にとってどのようなものでしたか?

フランスでの4年間も大学生活と同じくらい刺激的で貴重な経験になったと思っています。
言語や文化・習慣などの違いはもちろん大変でしたし、知り合いも一人もいなかったので、知らない土地で一から関係を築いていくことなど、学ぶことはとても多かったです。現地の作品や作家たち、マーケットの状況など様々なことを見聞きすることができましたが、なによりも前述したような生活における経験が人を磨き、それが作品の向上につながると信じて渡仏しました。
日本や日本での生活を比較できることでたくさんの発見がありましたが、僕が一番に感じたことは幸せの価値観でしょうか。詳しく話すを長くなるので簡単に言うと、「ゆっくりと人生・生活を歩んでいく」ということです。フランス人の仕事を含めた生活や人生というのは日本のように急いでいません。社会保障の程度も違うし、教育費や老後恩心配をしなくてもいいというところから貯金や先のことに不安を抱いていないことが大きいかと思いました。ちなみに地震や台風などの自然災害もありません。
夫婦共に務めていた会社を辞め、2年程前から起業しましたが、これに踏み切れたのもお互いにこれらの経験があったからかもしれません。

作品は自身の投影、“自分に嘘をつかない”表現

国内外、様々な環境で作品を制作し発表する中で常に心掛けていることはありますか?

作品制作について心掛けていることは”自分に嘘をつかないこと”。
それをした時点でアートという自己表現ではないと思っているし、行う意味と価値がないと思っています。これまでも中学生の頃から描き続けている顔のない人のモチーフを続けて高めてきた感じです。
僕の作品を見てくれた人が何かしら影響を受けてくれて、それがポジティブに作用してくれれば幸いです。
僕自身これまで映画や音楽など美術に限らず様々な素晴らしい作品から影響を受けて今の自分があると思っています。様々なアーティスト、クリエーターの方々と同じように分野に身を置き活動できていることをにとても幸せを感じます。
現在では肖像画の制作なども行っていて、それらと自分の作品は切り離して考えていますが、技術的に活きていることはたくさんあると思っています。事業として描いている絵で得たこともたくさんフィードバックしたいと思っています。

長らく続くコロナ禍ですが、南さんはどのように過ごされましたか?

僕自身はあまり時事的な出来事に影響を受ける方ではありません。しかし起業を準備するための時間と思って集中できたメリットはあったと思います。起業後は絵画教室を休みにしたり、カメラマンである妻の仕事が延期・キャンセルになったり、イベントへの参加を延期したりなど実働の上で影響はありました。
まだ子供も小さいので時々熱を出したり、体調を崩したりするのでスケジュールに影響が及びます。それでもコロナも出口が見えてきていると思いますので、その時により精力的に動きたいと思っています。

お子さんが小さいとどうしても生活が左右されてしまいますね。私も子どもが二人いるので様々なところで影響と迷惑をかけながら仕事をしています。高校の非常勤講師、特別支援学校の常勤講師、そしてご自身にもお子さんが誕生、絵画教室と子供と関わる機会は増えていると思いますが、ご自身の作品や制作という面において影響はありましたか?

大学、海外、障がい、今まで様々な経験をさせてもらいましたが、育児もまた新たな挑戦でした。
特別支援学校に勤めるのと子供を持つ時期が一緒だったので、それぞれに応用できる部分があってよかったなと思っています。それらの経験が今の絵画教室にも活きていると思います。
作品は自分自身の投影なので、これらの経験は作品に影響しているのでしょう。肖像画の制作の影響もあると思うのですが、今まで暗い色調が多かったので、今後は明るい色調の作品を作りたいという気持ちが芽生えています。また新しい表現を試行・模索していきながら作品を高めていきたいと思っています。

最近楽しみにしていることなどあれば教えてください

この6年間は仕事と育児のバランスに四苦八苦しながら生活してきました。自分の時間をあまり持てない中、楽しみは子供のころから大好きな映画鑑賞をすることですかね。今の生活になったメリットはたくさんありますが、制作中にYouTubeなどで様々な人達の話をきけることです。知識も得られるし、価値観や視野を広げてくれます。最近は子供も少し大きくなったし、コロナも落ち着いている時は1人で半日遠出して県外の美術館を巡ったりしています。

今後の展望など教えてください

まだ事業をはじめて2年目なので、まずは楽しみながら事業を発展させて、生活を安定させていけたらと思っています。一番の目的は作品制作なので少しずつ時間と労力をそっちに割いて今後も探求を続けていきたいと思っています。コンクールやコンペへの出品、いずれまた個展も行ってみたいです。

最後に、東北芸術工科大学で学ぶ在学生のみなさんへ、メッセージをお願いします

大学は社会人になる前の最後のモラトリアム(猶予)期間です。学生時代に得た知識や磨いてきた技術を武器に社会という自由な世界であがいていきましょう!社会に出てからもまた勉強です。様々な経験が待っていると思うので、楽しみながら歩んでほしいと思います。僕もまだまだ道半ばです。同じ時代に生まれた作家・クリエーターとして共に頑張っていきましょう!!

編集後記

「全ての経験を循環させる人」

南さんの卒業制作時の作品が大学本館三階のエレベーターホールに飾られています。
本文中にもとても残念な拙い表現で書きましたが「無機質」な印象を受けていました。 大学のコンクリート打ちっぱなしの壁がさらにその印象を増長させて見せている気もしますが、その形状は丸みを帯び、どちらかと言えば可愛らしいのに、色合いの暗さと、生きているものの様子なのに顔がないのでそれが息をしているものなのか何だかよくわからない、そんな感じです。見るたびに「よくわからない」のです。
今回この作品の作者である南さんにバトンが回り、南さんご自身と作品についてお話を聞き、理解とまでは及びませんが少しだけ違う視点で眺めることができるようになった気がします。

これまで取材させていただいた方にも言えるのですが、南さんも自身に必要な経験を自身の手で掴みに行っているという印象があります。それが南さん自身の制作の糧としてでも、家族の生活を安定させるためであっても全ては「作家である」ことに必要な経験で、どれ一つとして無駄なことはないと思わせてくれます。経験の貯蓄を増やし、それを自身できちんと運用し循環させて自分のあるべき場所を創出している印象です。

そんな南さんが代表をしている「イロみな」のWEBサイトにはこう記されています。

“美術が当たり前にある生活”

未曾有の感染症流行から約3年、これからマスクをはずし、これまで当たり前と思っていた生活を取り戻そうとしている中、長引く戦争、国内の物価高騰、増える税金と増えない所得などあまり明るくない話題にたくさんの人が疲弊しきっています。私ももれなくその一人で、楽しいことも新しいことも何も出来ないような気持にすらさせられます。でも美術は紙と鉛筆があれば始められます。砂の地面、木の棒、道路、石ころ、そんなありふれたものでも成立するものだと思います。そこには良し悪しのジャッジもいらず、楽しく取り組んで良いものであり、絵が苦手という人もいると思いますが、美術ってお手軽で誰でも等しく取り組める最高の遊びであってほしいと思っています。
南さんにはこれまで得たたくさんの経験と筆と視点で、美術の楽しさと表現の自由をたくさんの人に伝えていただき“美術が当たり前にある生活”を当たり前にしていただきたいです。

校友会事務局 カンノ(デザイン工学部生産デザイン学科 卒業生)

TUAD OB/G Batonについて

東北芸術工科大学は1992年に開学し、卒業生は1万人を超えました。
リレーインタビュー「TUAD OB/G Baton」(ティーユーエーディ・オービー・オージー・バトン/TUADは東北芸術工科大学の英語表記の略称)はアートやデザインを学んだ卒業生たちが歩んできた日々と、「今」を、インタビューと年表でご紹介していきます。