一度きりの人生で、辿り着いたのは”一生忘れられない時を切り取る幸せ”

10期生 2021.06.04

鈴木由美恵

(フォトグラファー[@yumiefotografia])

第9回目はパナマを拠点にフォトグラファーとして活動されている鈴木由美恵(すずき・ゆみえ)さん[@yumiefotografia]です。
鈴木さんは、芸術学部美術科工芸コースに2001年に入学しました。ゼミ担当教員は金子透(かねこ・とおる)先生、安部定(あべ・さだむ)先生でした。

素材も国境も飛び越えて

芸工大での思い出を教えてください。

先輩後輩、同級生、個性的な人たちに囲まれて過ごしていました。工芸コースは縦のつながりが強く、先輩方から教わることも多かったです。
制作に行き詰ったり、モヤモヤしたときは、夜の蔵王で星を眺めたり、夜景を見に行ったり、今思えばとても贅沢な環境にいたんだと感じます。
たくさんの学友から刺激を受け、ああだこうだと語り合ったあの時が、とても愛おしく、懐かしいです。

大学卒業後、ガラス作家の道からフォトグラファーへと、思い切った路線変更をしていますが、そのきっかけについて教えてください。

就職先の「スガハラガラス(菅原工芸硝子株式会社)」で、職人でありデザイナーという仕事環境の中、とても充実した制作活動をしていましたが、入社から2年程経った頃から体調不良が続き、退職を決めました。
その後、心機一転するため、それまで温めていた”海外に出たい”という思いから、バックパックにカメラというスタイルで旅に出かけ、行く先々で写真を撮り続けていたのですが、そうする内に”どうせなら好きな写真や旅を仕事したい!”と考えるようになっていました。
写真は高校時代から好きで続けていたので、自然な流れだったのかもしれません。

アマゾン川をブラジルからコロンビアまで下った時の写真。地元民に混じって一週間ほど船で過ごした。

パナマを拠点を置くことになった経緯を教えてください。

最初の就職をする前から意識は海外に向いていました。
ただ、家族の事情や、震災など、いろいろな出来事が重なったこともあり、「海外に行きたい」という気持ちを抱えたまま、日本にとどまる時間が続いていましたが、2013年に南米大陸へ、移住の予感も少なからず抱きつつ旅立ちました。しばらく、ウルグアイのヨガファームにて自身のヨガを深めつつ、運営のお手伝いをしながら南米での生活に触れていました。その後、2014年から1年半をかけて南米大陸縦断の旅に出ました。
行く先々で地元の方と交流するうちに、そこに暮らすおおらかな人たちや、その人たちの作りだす空気感、その全ての虜になり、「この地に暮らしてみたい!」と思うようになっていました。

写真や旅を仕事にしたいとも考えていたら、偶然にもパナマに拠点を置く今の勤務先に出会って、そこからは自分でも不思議に思うほどトントン拍子に話が進み、今に至ります。

ヨガを通してつながったチリの友人を訪ねた時の写真。

海外で仕事をするというのは、言葉や文化・風習など、さまざまな問題・課題があると思いますが、どのように乗り越えてきたのですか?

言葉については、この仕事を始める前の南米縦断の旅の行く国々で、現地の人たちとコミュニケーションを図りながら実践で徐々に身につけました。
初めのころは英語80%に、つたないスペイン語20%という感じでしたが、徐々にスペイン語に比重を移していって、とにかく場数を踏むことで鍛えていきました。こちらで仕事を始める頃には問題なく話せるようになっていました。
とは言え、同じスペイン語でも、中南米それぞれの国で言い回しが違ったり、訛りがあり、移住したパナマは特に独特でした。スペイン語を話せるつもりでパナマに行ったら、意外とわからないことが多かったので、そこでも地元の人たちとできるだけ交流することを心掛けて徐々に慣らしていきました。

パナマに移住して以来、アマチュアサルサチームに所属していてるのですが、これもラテンの人々を知る良いきっかけになりました。コロナ前はサルサ三昧の日々で、サルサコングレス(大会)の舞台に立つほどに夢中で踊っていました。踊っているうちに地元の友人も増え、サルサを通して世界が広がっていった感じです。

ラテン圏で本場のサルサに触れることもそうですが、その土地ならではのことになるべく挑戦しよう!と常に考えています。そうしているうちに、その土地に溶け込み、視野もどんどん広がる、そう信じています。

所属しているサルサチームの仲間たちと

気持ちもその場の空気も、全て1枚の写真つめこんで

フォトグラファーのお仕事について教えてください。

今の会社に所属して、ボリビアでの撮影がウェディングフォトグラファーとしての初仕事でした。その後もキューバやガイアナの秘境など、いろいろな場所に行く機会に恵まれました。
1年のうち4分の1はボリビアで過ごし、ウユニ塩湖の鏡張りでウエディング撮影を手掛けています。

ウユニ塩湖でのウエディングフォト。水面に雲を映しながらピンク色に染まる景色がとても印象的。

仕事をする中で日本では考えられない事態も起きそうですが、特に印象的だった出来事はありますか?

キューバでのウエディング撮影が印象的に残っています。
撮影前はいつも街中を歩いてそのカップルにふさわしいテーマに沿った場所を探し、光の感じなどを見ながら、撮影当日の流れをある程度事前に設計していきます。
あとは撮影するカップルの雰囲気を感じながら当日になって臨機応変にディレクションしていくのですが、キューバに関しては中南米のどの国よりもそれを求められるという衝撃を受けました。
まさしくどの瞬間も唯一無二のライブセッション。

地元の人と町の雰囲気も全てを取り込んだ唯一無二のウエディングフォト。

ハバナ旧市街では、道行く人さえ絵になります。「おめでとう!」と言いながら子供たちがドレス姿の花嫁に興味津々に寄ってきたり、サルサを踊りだすおじいちゃんが現れたりすることも、今となってはよくある光景に思えます。
キューバならではの空気感を放って、狙っていなかったところから、嬉しくも予想外なエキストラたちがひょんと現れてくれます。そうやって交流がどんどん広がって、なかなか面白い展開が生まれていきます。”キューバ”という土地ならではの空気感かな?と思っています。結果として心から溢れてくる幸せな表情をたくさん撮ることができて、とても魅力的なウエディングフォトに仕上がりました。
お客様が地元の人と交流する機会や、ローカルな空気感を求めているカップルだったので、大喜びしてくれました。
こういった撮影を希望されるお客様は、その土地や人々の作り出す空気を楽しみにしているカップルが大半ですね。

ぴっかぴかの太陽みたいに陽気で明るいキューバ人たちだから許される、みたいな感じでしょうか。彼らを撮影の巻き添えにして、その場の空気を頼りに即興演奏のような撮影をしていくことは多々あります。

写真は撮り直しのきかないことが多いと思います。ウエディングフォトは撮られる側の思い入れも強い分、緊張感は格段に違うと思いますが、撮影の際、どのようなことを心掛けていますか?

”一生忘れられない、特別で素敵なひと時を提供したい”と常に考えて、お客様との時間を共有するよう心掛けています。
お客様が地元の人と交流ができるように通訳をしたり、ガイド的役割を果たしつつ、その場所、その瞬間に生まれる空気感を、お客様はもちろん、自分も楽しみながら切り取っていけるようにしています。

写真を納品した時に、「鈴木さんに撮ってもらってよかった!」と言っていただくことが最高のご褒美です。

一度きりの人生、今できることをするだけ

現在はコロナの影響で一時的に帰国中ではありますが、久しぶりの日本の生活で楽しみにしていることはありますか?

サルサ三昧だった日々が、今はもっぱらコソコソとソロ練です。コーヒー輸入ショップKALDIに行くと、だいたいどの店舗でもサルサが流れているので、勝手に体が動いてしまい、食品を選びながら踊っています。

最近、フィルムカメラを再び始めました。
一写入魂、一枚一枚丁寧に撮影するスタイルは、デジタルカメラには成せない世界なので、原点に立ち返るような気持ちで、モノクロフィルムで、日本ならではの風景を切り取ることを大切に、撮影を楽しんでいます。しばらく離れていたからこそ、自分の中で日本への愛情が芽生えて、この国の美しさを再発見しているところです。まだ撮り貯めている最中で公開はしていないのですが、いつか発表できる機会があれば良いな。

あと、嬉しいことに、過去に撮影したお客様にお声がけいただいて再会することができて、今度は日本の湖などで撮影をさせていただく機会に恵まれました。ライフイベントの節目節目に撮影を依頼していただけて、感無量です!
これからも出会いを大切にしながら仕事をしていきたい!と思わせてくれる出来事でした。

日本でのウエディング撮影をもっとやってみたいですね。
久しぶりの日本の生活を満喫したいと思います。

今後の展望を教えてください。

海外を拠点に仕事をしているので、コロナの影響をもろに受けていますが、今のこの状況下で何ができるのかを考えています。
退避帰国前から進めていたアフリカへの旅のコーディネートについても今できることを探して準備を進めています。
再び自由に旅ができる日がいつやってくるのか、今はまだわかりませんが、この間に写真の仕事はもちろんですが、ライティングの仕事やweb関係の仕事もこなしつつ、スキルアップのためにいろいろと勉強しています。
最近はフランス語圏の人との関わりが多くあり、使用する機会が増えたので、改めて勉強を始めました。
ピンチをチャンスに!今だからできることがあるはずと信じて、それに向かって日々を楽しんでいます。人生は一度きりですから!

最後に、東北芸術工科大学で学ぶ在学生のみなさんへ、メッセージをお願いします。

私は工芸コース出身で、卒業後は金属工芸からガラスへと素材を転向し、ガラス作家の道へいきました。そこでがむしゃらに働いていたものの、体調不良など、様々な事情が絡み合い、一旦立ち止まることになりました。
そんな時に私は「何をしていたら幸せ?」と、自身に問いかけました。結果、紆余曲折しながらも、私が私であれる”旅”と”写真”という道に辿り着きました。それは好きが総じて導かれたような感じです。
人それぞれオリジナルの人生。一本道を辿るのも、もちろん素晴らしいこと!そしてカッコイイ!それは確かです。
私の場合は、”こうあるべき”とか”幸せの固定観念”に縛られずに”一度きりの人生を自分らしく、自分のために生きる!”そう決めたら途端に自由になりました。
挑戦したいと思ったことへ向かって堂々と道を外れてみたら、得たものは思った以上に大きかったです。
「こんな生き方もあるんだなぁ」と、みなさんに何か響くことがあったら嬉しいです。

鈴木由美恵

中南米もしくはアフリカでウエディングフォトを撮ってみたい!という方は是非お問い合わせください。
ONLY ONE TRAVEL
ONLY ONE AFRICA
また、個人的な撮影のご依頼はinstagram@yumiefotografiaへメッセージをお願いします。

編集後記

「踊るように軽やかに越えていく人」

彼女とのはじまりはどこだったか、よく覚えていないのですが、気付いたら知り合っていました。

私は彼女の状況を知るたびに、「由美恵ちゃんには、どれだけの引き出しがあるんだろう」と驚かされます。そして国境を越えることが彼女にとっては当たり前のことように感じています。

今回、彼女にインタビューをさせてもらいたいと思ったのは、私が彼女の生き方をとても魅力的に感じていたからです。
そこには羨望だったり、衝撃だったり、好奇心だったり、私のいろいろな気持ちが入り混じっていて、何より私の持っていない世界観と視線で溢れているから。そこには愛、命、悲しみ、祈り、彼女が見て、触れて、経験してきた全てが散りばめられています。
そして、彼女には興味のある世界に飛び込む力強さがあり、自分を高揚させることにとても敏感です。
いつだって自分に素直にいるから、何気ない生活の一面を切り取っていても、彼女の映し出す世界はこんなにも美しく、彩り豊かなのだと改めて感じました。

今のこの状況が落ち着き、再び世界がつながったら、きっと彼女はまた踊るように、軽やかに国境を越えて、私の知らない世界線を見せてくれるのだろうと、とても楽しみで仕方ないです。

校友会事務局 カンノ(デザイン工学部生産デザイン学科 卒業)
Photo:Yumie Suzuki

TUAD OB/G Batonについて

東北芸術工科大学は1992年に開学し、卒業生は1万人を超えました。
リレーインタビュー「TUAD OB/G Baton」(ティーユーエーディ・オービー・オージー・バトン/TUADは東北芸術工科大学の英語表記の略称)はアートやデザインを学んだ卒業生たちが歩んできた日々と、「今」を、インタビューと年表でご紹介していきます。