TUAD OB/G BATON
学生時代の不完全燃焼を画家としての第一歩に
佐藤唯
(画家)
第21回目は切り絵作家・荒井志帆さんからのバトンを画家・佐藤唯(さとう・ゆい)さんにつなぎます。
佐藤さんは、美術科洋画コースに2009年に入学しました。ゼミ担当教員は青山ひろゆき(あおやま・ひろゆき)先生でした。
[荒井さんからのメッセージ]
佐藤さんは私と同じ宮城県のご出身で、宮城を拠点に洋画家として国内外で作品の発表を続けご活躍されています。大学卒業後は私も含め一度制作から退いてしまったり、活動を続けるモチベーションを維持することがなかなか容易ではない方も少なくないと思われます。
その中で、佐藤さんは近代美術の登竜門の一つである『独立展』に連続で入選され、海外での展示を行い高い評価を受けています。アートは「続ける」ということの難しさや厳しさもある世界ですが、持続することが自分自身はもとより作品を見る側や同じ道を志す人たちに感銘を与えてくれる力だと思っています。
佐藤さんの豊かな色彩溢れるキャンバスと軌跡は後輩のみなさんに希望を与えてくれると感じました。
同級生からのひと言に覚えた危機感
芸工大での思い出を教えてください
山形でアパートを借りて初めてのひとり暮らしは自由で快適で、環境的に過ごしやすく、結構マイペースに過ごしていました。大学へは原付バイクで通っていたので、天気の良い日は街の中をあちこち走り回っていました。洋画コースの先生方は親切に接してくださったし、周りには個性的な同級生がたくさんいました。自分の感性を磨くために絵を描く以外にもアニメや映画鑑賞をしたり、いろいろな展覧会を回ったり、アルバイトをしたり、旅行にも行ったりしました。基本的には1人の時間が多かったですね。
学食のご飯がすごく好きでした。白米がとても美味しくて、それに味噌汁と小鉢で充分いけました。一番好きだったのはナポリタンです。パスタとトマトソースに粉チーズをかけて食べるのが最高でした。
私も学食のナポリタン好きでした。おいしいですよね。佐藤さんは学生時代はどのような制作をされていたのですか?
学生時代はサルバドール・ダリの作風に憧れつつ、絵を描きながら僕なりに自分の作風を探したり、感性を磨く日々を過ごしていました。
大学生活3年目の進級制作の頃、周りの同級生たちは自分の作風を持って個性を発揮する人ばかりで、僕はまだ自分のそれらが見つけられませんでした。ある日同級生から「唯くんは見ながら描くのが上手いよね」と言われた時、これはヤバいと追い詰められました。そこから現実にある物ではなく創造した物を描こうと決めました。
大学生活4年目は自分の作風を生もうといろいろな画家を参考にしながら毎日ドローイングをして青山先生に相談しまくりました。少ししつこかったかもしれません。
昔から映画やアニメのファンタジーも好きだったので、山や城とか異世界のような感じの作品を描いていくうちに巨大な山や空飛ぶ小惑星に家やビル、電柱、木々などが、大きさがバラバラで、上向きだけでなく横向きや下向きにも建つような、ファンタジックかつシュールな世界観に辿り着きました。
青山先生に見せたときに「これが一番面白い」と言われたので、自信を持ってF100号のキャンパスに描きこむことができ、その作品を『第80回独立展』に応募してみたらなんと入選をしました。公募展の入選ははじめてだったので嬉しくてやっと自分の絵に自信が持てるようになりました。
卒業制作の時は独立展に入選をしたこともあり自信をもって作品制作に挑むことができました。これまでの成果を精一杯発揮して描いて、東京展にも出られると思っていました。ところが全力で描きこんだ卒制の作品は東京展には選抜されませんでした。自信を持って制作に挑んだ作品の何がいけなかったのかと考えました。
自分の思ったような成果が上げられず、このままでいるのは悔しいと思い、地元に戻って画家になる決意をしました。
代表作「浮遊地帯」
東京展は東京都美術館という会場の雰囲気もあって大学での卒展とは全く違いますし、見に来る方も多様だと思うので、美術科の方はみなさん出展を目指されるのですね。思う成果が得られなかった悔しさをどのようにプラスに変換していったのですか?
卒業前にOBの方を交えて飲み会をして、その席で卒業制作の作品を見せた時、「もっと自由に描いてみたらいいよ」という言葉をもらいました。その言葉をきっかけに卒業してすぐに銀座のギャラリーからお声がけいただいたグループ展に向けて思い切って作品を描きました。それが僕の代表作となった『浮遊地帯』です。
佐藤さんのInstagramで作品を拝見しました。上昇気流ど真ん中のような勢いがあるのに、キャンバスの中心にギュッと吸い込まれるような印象の作品、どれもひと時も止まっていられないような“動”の感覚を受けました。これらの作品はどのような制作過程を経て出来上がるのですか?
描くものはドローイングで大体決めたらキャンバスに様々な色の絵の具をのせ、そこから下地の色をできるだけ残しながら家や小惑星の形を作って描いていきます。最初からテーマがあればそれにまつわるものを軸に描き、描きながら決めていく場合もあります。基本的に大きな物体の上に家やビル、電柱、木、バラなどを描きますが、最初から全部イメージや構図を考えようとすると手が止まってしまうので、細かい箇所は描きながらきめていくし、それで新しいアイデアが生まれることもあります。感覚に身を任せ自由に描いています。
人生初の海外で改めて知った世界の広さ
身を任せた自由が私には“動”に見えるのかもしれません。クロニクルの2016年に『パリ国際サロン ドローイング・コンクール』入選をきっかけに出たヨーロッパ旅行に出たとありますが、佐藤さんにとってどのような経験となりましたか?
『パリ国際サロン ドローイング・コンクール※』入選後に、両親からのすすめもあって人生初となるヨーロッパ旅行に10日間くらい行ってきました。前半はフランス、後半はスペインを回りました。
パリのマレ地区は様々なギャラリーが集まる場所で、商店街のようにズラッとギャラリーが並んでいるんです。そこと見て回りながらヨーロッパの芸術に触れてきました。もちろん自分の入選作品も観に行きました。
エスパス・コミンヌは日本のギャラリーよりも床面積も広いですし高さも数倍あるギャラリーで、そこに並ぶ日本人の作品の中に僕の絵を見つけた時はなんだか不思議な気持ちでした。海外で僕の絵が展示されていることで、今までと違う世界に飛び込んだ気がしました。
その後、パリを4日間回り、ルーブル美術館でミロのヴィーナスやニケの彫刻、ダヴィンチのモナ・リザ、オルセー美術館でゴッホの自画像、オペラ座でシャガールの巨大な天井画、モン・サン・ミッシェルにも行ってきました。
はじめて体感したパリは、美術館はもちろん、全て建築物や大きく伝統的で装飾が美しく、街全体がひとつの美術館のようでした。
後半のスペインではサグラダファミリアやガウディの建築物にも触れてきました。一番行きたかったダリの故郷であるフィゲラスにあるダリ美術館では建物の外観から中の作品にいたるまで、まるでダリの脳内に入ったような気分で堪能してきました。
海外で作品を展示できたこと、そしてヨーロッパ文化や芸術に触れることができたのは、世界の広さを改めて知る大きな経験となったと思います。
※パリ国際サロン:パリ画壇から世界に通ずる邦人作家の育成を目的に1985年に創立された唯一の日本人主催サロン
この春まで作家として活動のしにくい三年間であったと思いますが、どのように過ごしていましたか?
コロナ禍になって僕の身近なものが大きく変化していったので、以前よりも少し世間の情勢や価値観に目を向けるようになりましたし、家族や周りの人たちのことも考えながら過ごすようになりました。
実家では母がカフェを営んでいたので、コロナ禍になってからは以前のようにお店を続けていくことが難しくなしました。助成金をもらいながらランチやディナーは予約制にしたり、お惣菜を販売する日を決めたり工夫をしながら続けています。
自粛が厳しくなる中、アートや娯楽で何ができるのかを問われている気持ちになりました。はっきりと断言はできませんが、これまでと違う形のコミュニケーションの可能性が増えたので、そこでのアートの必要性も問われる気がしています。
アートと社会は分離できるものではないと思うので、僕はどう変わるのか、変われるのかわかりませんが、これからも考え続けていきたいと思います。
作家活動の他、佐藤さんが楽しみにしていることを教えてください
アニメや映画を観ることが好きなので、最近は映画館に通ったり、自宅で昭和から現代までのいろいろな映画を鑑賞することが増えました。そこから作品のヒントを得ることもあります。
あとは飼っている黒のトイプードルを過ごすのも楽しみの一つです。去年から2匹目として迎えた犬で、 かなりやんちゃな性格なので世話をするのは大変ですが その子を散歩に連れて行ったり、ご飯をあげたり、動きや様子を観察するだけで癒しになります。
最後に、東北芸術工科大学で学ぶ在学生のみなさんへ、メッセージをお願いします
周りにいる人、家族や大学の友人、先生方など、一人だけでもいいのでつながりをしっかり持っておくと、後に自分のためになることがあるので大切にすると良いと思います。今しかできないことがたくさんあるので、いろいろと挑戦しながら今を十分に楽しんでください。
編集後記
「佐藤唯という個性の人」
「個性」というものの意味はひどく曖昧で、すごく素敵なものに扱われることもあれば、足枷のようになってしまうこともあります。「自由」は誰しもが求めてしまうとても魅力的な響きがありますが、履き違えるととても暴力的になってしまうことがあります。表現者は最初から個性的で自由である、というような印象がありましたが、実は意識の有無に関わらず自分の摂理と世の中のソレのイメージの間で自己表現を組み立て作り上げていくものなのかな?と佐藤さんのお話を伺いながら感じました。
佐藤さんにお話を伺うにあたり、私は佐藤さんのInstagramやFacebookを拝見しました。
佐藤さんの色鮮やかな作品の間に日常風景の写真やデッザンが並んでいました。
新しく家族に迎えた漆黒のトイプードルの写真、描きかけのお父さんの似顔絵、アニメキャラクターの模写、作品の構想メモのようなもの、人物デッサン、旅の記録、その全てが佐藤さんの作品に有形無形で描き込まれ、ダイナミックものから造形が明確にわかるものへの昇華されているのでしょうか?
芸術家肌ではない私にはつかみ取れないものばかりですが、これが佐藤さんが学生時代に得た「個性」と「自由」の象徴なのかな?と受け取りました。
代表作である『浮遊地帯』をはじめ、佐藤さんの作品を拝見していると「私が(これが)佐藤唯です」と言われている気がします。 この表現が佐藤さんにとってどのように響くかわかりませんが、私にはそう感じたのできっとこれは佐藤さんの「個性」として私にはしっかり届いているのだと思います。
アートや作風はその時代や作家の内面になどによって変化していくものであるとも思うので、佐藤さんの作品のように時間の流れを浮遊しながら「佐藤唯という個性」を存分に見せつけていただきたいです。
佐藤さんが「ヤバい」と感じた見たものをしっかりと落とし込むデッサン力が私には良い意味で「ヤバい」ものとして映りました。私は持ち合わせていないその力が私は羨ましい。(漆黒のプードルも羨ましい)
佐藤さんが個性を見出さなければと感じたその力は私にはとても素敵なものに映っていることを伝えさせてください。(プードルのいる生活も素敵です)
校友会事務局 カンノ(デザイン工学部生産デザイン学科 卒業生)
TUAD OB/G Batonについて
東北芸術工科大学は1992年に開学し、卒業生は1万人を超えました。
リレーインタビュー「TUAD OB/G Baton」(ティーユーエーディ・オービー・オージー・バトン/TUADは東北芸術工科大学の英語表記の略称)はアートやデザインを学んだ卒業生たちが歩んできた日々と、「今」を、インタビューと年表でご紹介していきます。