TUAD OB/G BATON
追い求めるは自分メイドのデザインとの向き合い方
山田隆介
(RYUSUKE YAMADA DESIGN主宰)
第12回目は野口品物準備室主宰・野口忠典さんからのバトンを、RYUSUKE YAMADA DESIGN主宰・山田隆介(やまだ・りゅうすけ)さんにつなぎます。
山田さんは、デザイン工学部生産デザイン学科に2002年に入学しました。ゼミ担当教員は渡邉有一(わたなべ・ゆういち)先生、柚木泰彦(ゆのき・やすひこ)先生でした。
疑問を問い、就活中断。進路変更
芸工大での思い出を教えてください。
高校時代に通っていた塾での大学説明会をきっかけに滋賀県から山形に出てきました。学生時代は毎日のように友人宅に入り浸り、夜な夜なくだらない話からデザイン論議などを語り合ったことが良い思い出です。当時はデザイン携帯や家電等のデザインブランドが乱立し、私自身もどんどんマニアックなプロダクトデザインの世界にのめり込んでいきました。
山田さんは学部卒業後、大学院に進学されていますが、もとから大学院進学を考えていたのですか?
転機は学部3年次の就職活動でした。当時クラスメイト達と同じように家電メーカーの入社試験を受けていましたが、就職活動を重ねる中で“自分は本当に家電メーカーで働きたいのか?”という素朴な疑問が生まれ、それをきっかけに“自分なりのデザインとは何か?”を考えるための卒業研究を行うことになりました。そしてその研究をさらに深めるために大学院に進みました。
就職活動から一転、大学院進学への進路変更して自身への“問い”の答えを探されたんですね。卒業制作から大学院の研究まで、どのような研究をされたのか教えてください。
ここでは自己作品や好きなデザイン作品、心地よく感じた日常の風景や現象の中に自分なりのデザインのヒントがあると考え、それらを収集・分析し、自分なりの観点としてまとめていきました。その観点を意識しながらアイデア展開を行うという内容でしたが、この研究での一番の気づきは自分自身が普段意識している以上に自分の好きの範囲は広く、多様性があるということでした。
大学院では作品づくりだけではなく下級生も巻き込んだワークショップを行いました。この研究のおかげでデザイン教育の面白さに気付き、今もものづくりメーカー向けの商品開発ワークショップなどの業務につながっています。この場を借りて、当時勢いだけの私の研究にご協力いただいた後輩の皆様に改めてお礼を言いたいです。
現在は独立されていますが、ここに至るまで、経験されたお仕事についてお聞かせください。
大学院修了後、好きと思えるデザイン事務所で働きたいという想いから、大阪のハーズ実験デザイン研究所に勤務することになりました。世代の近いデザイナー達に刺激を受ける日々でしたが、ここで担当した福井県の越前打刃物の欧州進出プロジェクトをきっかけに、地場産業デザインに興味を持ち、前職の代表ともつながるご縁をいただきました。その後、観葉植物フランチャイズチェーンを運営する国土緑化株式会社の商品企画担当として勤務し、前職の(株)SATOMI SUZUKI TOKYOにて、メイドインジャパンの海外向けの商品開発や欧州販路開拓プロジェクトの仕事に携わることになります。
浅はかですが、“メイドインジャパン=良質=売れる”というイメージがあるのですが、実際にはどのように感じましたか?
私も初年度は希望を胸にドイツの見本市等を訪れたのですが、現場を知れば知るほど海外で高単価の日本のデザイン製品を売ることの難しさを身をもって知ることになりました。そこには安価に製品を提供でき、且つ資金力のあるアジア圏の競合他社がたくさんあり、ただ“メイドインジャパンだから受け入れられる”という幻想はないという現実がありました。
一方で、しっかりと海外で売り上げを上げている日本のメーカーやブランドもありました。それらの企業は現地のライフスタイルを理解し、商品や販売戦略を練り、現地顧客とのコミュニケーションを重ねるなど、国を越えても真摯に地道な努力を重ねる企業ばかりでした。
そこには「私がやらなければ!」という熱い思いを持つ人が必ずいて、国が変わっても現状を受け止め、諦めずにできることをコツコツと積み重ねることの大切さを実感しました。
積み重ねた経験から″自分メイド”を創りだすために
独立された現在のお仕事について教えてください。
今年2月の開業から間もないタイミングではありますが、現在はこれまで関わってきたものづくりメーカーなどに対して企画提案を行ったり、友人と共に海外向けのEC企画検討等を行っています。まずはこれまでお世話になったクライアントに貢献できるプロジェクトを具体化することが直近の目標です。また、大学の交友関係から仕事につながる案件も出てきており、コロナ禍だからこそこのようなつながりの大切さを改めて感じています。
仕事を離れたところで、楽しみにしていることなどあれば教えてください。
大学卒業後は大阪へ移り住み、東京に来てからは10年が経ちました。
プライベートではありがたいことに元気な三姉妹の父となりました。自宅での仕事と子育ての両立は難しい部分もありますが、子どもたちの成長を感じる時間が増えたことを嬉しく感じています。
また私は東北出身ではないのですが、縁があり東京に来てからプロダクトデザイン学科のOGOBを中心とした芋煮会を6年程続けています。コロナ禍で難しい状況が続いていますが、関東で日頃なかなか出会うことの少ない卒業生同士の出会いと交流の場を細々とでも続けていければと考えています。興味のある方はぜひご連絡ください!
今後の展望についてお聞かせください。
独立をきっかけに、改めて自分が何をしたいのかを振り返ることになりました。「これまでお世話になったクライアントに貢献したい!」「海外でメイドインジャパンを売りたい!」「自分のデザインブランドをつくりたい!」「学生や作り手の想像力を高めるデザイン教育に関わりたい!」など、やりたいことはたくさんありますが、結局私は自分なりの、自分にしかできないデザインの仕事を創り出したいのだ(自己中だなと改めて実感…)という結論に立ち戻ることができました。一つ一つ前向きにトライしながら自分なりの仕事を創り出したいと考えています。
最後に、東北芸術工科大学で学ぶ在学生のみなさんへ、メッセージをお願いします。
これまでデザイン事務所、中小企業の社内商品企画、メイドインジャパンの海外進出と、分野の異なる環境でデザインや企画に関わる仕事に携わってきました。新しい仕事にトライする度に異なる困難がありますが、経験のない仕事もやってみれば各々の面白さがあり、経験の積み重ねが今の自分の強みとなっていると実感しています。自身の好奇心や多様性を信じ様々なことにトライしてほしいと思います。
また日本だけでなく、世界にも目を向けて欲しいと感じています。
仕事をきっかけに日本企業の海外進出率を調べたところ、売り上げの半分以上が海外という日本企業は本当にたくさんあります(私自身も学生時代は勉強不足でこのような事実を知りませんでした…)。
これは皆さんがこれから務める仕事で海外に関わる可能性が多々あるということです。一度興味のある仕事や会社などがどのように海外に出ているのか調べてみてはいかがでしょうか?
そして最後に前職のボスであるサトミさんが講演の際に使っていたある広告のキャッチコピーを皆様に贈ります。
DON’T BE ROUND! BE A STAR!!!
丸くなるな、星になれ!!!(サッポロ黒ラベルの広告より)
私自身も皆様に負けないように様々なことに挑戦し、私なりの星になることを目指して頑張りたいと思います。
RYUSUKE YAMADA DESIGN
■e-mail:Ryusuke.yamada.design@gmail.com
■WEBサイト:RYUSUKE YAMADA DESIGN
■Instagram:yamadaryusuke
■facebook:山田隆介
編集後記
「問い続ける人」
誰しもどこかの場面で自分自身への“問い”に出会うことがあります。
買い物をする時、授業中に挙手するかしないか、メールへの返信の言葉などの日常によく起こることから、人生の岐路になるような出来事まで。“問い”は意図しなかったときにフッと湧き上がってきたのに、なかなか消えず、時に不安に、時に期待にと姿を変え、心を揺さぶってきます。(晩御飯一汁一菜だけど量で勝負でいいよね!…いいよね…←これ私によく湧く“問い”です)
山田さんは就活という、まさしく人生の岐路に立った時に“問い”がやってきて、さらにその後も様々な場面で“問い”と対峙し、その度に真摯に向き合っている様子がとても印象的でした。
“問い”に答えることは、同時に自分を振り返ること。時には現在の自分を否定することになるかもしれません。そう思うと逃げ出したくなる気持ちもしますが、一つ一つ丁寧に“問い”を解いてきたからこそ、今の山田さんがいるのでしょう。
独立され、新たなスタートをきった山田さんの今後を期待し、私も山田さんが在学生に贈った言葉を、山田さんに贈ります。
DON’T BE ROUND! BE A STAR!!!
校友会事務局 カンノ(デザイン工学部生産デザイン学科 卒業)
RYUSUKE YAMADA DESIGN主宰・山田隆介さんからのバトンを宇野健太郎(うの・けんたろう)さんにつなぎます。
『学生時代から素晴らしい卒業研究等を行われていた一つ上の尊敬する先輩です。大阪のデザイン事務所時代のクライアント先で働かれていたこともあり今も仲良くしていただいています。現在は同社の東京所長としてチームを率いて新領域にどんどんとチャレンジされています。社内デザイナーでもここまで新しい仕事をつくることができるのだなといつも感心させられる静かに燃える熱い心を持つ方です。』
[RYUSUKE YAMADA DESIGN主宰・山田隆介]
TUAD OB/G Batonについて
東北芸術工科大学は1992年に開学し、卒業生は1万人を超えました。
リレーインタビュー「TUAD OB/G Baton」(ティーユーエーディ・オービー・オージー・バトン/TUADは東北芸術工科大学の英語表記の略称)はアートやデザインを学んだ卒業生たちが歩んできた日々と、「今」を、インタビューと年表でご紹介していきます。